人の成長のステップなのかどうか、定かでもありませんけれど、
未知な事柄からできるようになるまでに、
タイトルのように、「知る」「わかる」「できる」の段階があるように思います。
なんか、これって普通にわかるようでいて、少し考えてみました。
「知る」
知るということは一番簡単なことであると思います。
人から教えてもらう。
書籍を読んで知識を得る。
偶然何かに気づく。
とか。
もちろん、能動的に知識を求める態度は素晴らしいものです。
何事も、まずは「知る」ことから。
「わかる」
ここからは異論もあると思いますが、私見です。
わかるということは、知識を元に実践してみること。
A=Bであるという知識を、そのまま使って動いてみる。
あぁ、A=Bということは、実際にこういうことなのか、と思い至る。
では、なんでA=Bになるんだろう。
AがBにならない場合でも、おかしくないのではないか。
そんな問答を深めていき、最終的にまたA=Bに戻って来る。
そして、「わかる」。
知識を深めたものが、「わかる」という姿のように思います。
否定の否定は肯定であるけれど、
初めから肯定(A=Bに疑問も持たない状態)している段階は、
まだわかる段階には居ないように思います。
最終的に、肯定でも、
1,初めから肯定
2,否定に否定し肯定に戻る
深みで言ったら雲泥の差があります。
「できる」
わかったことを、できるようになるまでには、
経験と実践の積み重ねがどうしても大事になるように思います。
時に、「わかる」の段階に行きつ戻りつしながらも、
実践を積み重ねていくこと。
このためには、続けるという動機、気持ち、胆力が大切です。
どこまで強く、思い込めるか。
自分の信念、信条に合致することを、しようとしているのか。
どんなに崇高な事柄でも、
その時の自分の信念や信条と反すると感じるものについては、
できる、という段階には至ることは難しいのかもしれません。
「知る」は、探究力。
「わかる」は、実践力。
「できる」は、人間力。
くれぐれも伝えたいのですが、
これができるからと言って、人間的に優劣だとか上下であるとか、
そんな事にはなりません。
時に、自然に何事もないかのようにこの段階を意識せずに通っていく方もいます。
そちらの方の方が、よほど素直でいらっしゃるんだと思います。
ふぅ。
覚書ていどで。