不思議な、高齢のご夫婦がいる。
私のいつもの通勤路に、これは文章で書くととても形容し難い光景なんだけれども、
おじいさんは毎朝決まって歩道のガードレールに両手をついて、道路の方を何を見つめるでもなく立っている。
きっと、立っている事自体が運動なんだろう。
日頃の運動不足を少しでも解消しないといけないと思って、少しばかりの運動として考え取り組んだことが、
この、少し不思議な光景。
歩道のガードレールに両手で掴まり、ただ立っている、という運動。
そして、そのおじいさんを見張っているおばあさんがいる。
おじいさんに声をかければ聞こえるくらいの距離の、1階の窓から。
家の中からじっと、おじいさんを見張っている。
あぁ、きっとこのおじいさんは目を離すと歩いて何処かへ行ってしまうんだ。
少しばかりの運動だけれども、おばあさんの目配りがないと何処かへ行ってしまうおじいさん。
そう、思った。
一度だけ、そんなおじいさんと目が合ったことがあった。
私は微笑んで頭を下げた。
おじいさんは、私の存在を見たまま、表情ひとつ変えずに私を見つめたままだった。
そんな光景が見慣れてきて、1ヶ月。
その日は、特別な日になった。
奥様がおじいさんと一緒に、歩道のガードレールのそばで、同じようにただ道路の向こう側を見つめていた。
そのおばあさんは、車いすに座っていた。
古く、錆びついている様子の重そうな車いす。
おばあさんのその足は、歩くには心細いくらいに細く、
立つだけでもやっとであろうことが容易に想像できる。
もしかしたら。。。
そうだったんだ。
おじいさんは、自分の運動のために、ただ歩道に立っていたんじゃない。
おばあさんが家から出るように。
家の中だけではなくって、少しでもいいからこっちへ来いよ、と、
ずっと家の中にばかりいるおばあさんに、伝えていたんだ。
いつも、家の1階の窓からおじいさんを見ていたおばあさんは、
今日は、おじいさんと並んで歩道に身を寄せ合っている。
おふたりの何十年という歴史が、私の中を駆け巡った。
凪いだ海のような時期もあれば、耐え忍んだ時期、働き働いた時期。互いの病いの時期。
そんな時間のいつもに、このおじいさんとおばあさんは心の手を握り合って、
そばで支え合ってきたんだろう。
きっと。
この風景のように。
強い風が吹いた後、
おじいさんはおばあさんの車いすを、家の方へ向かって押して帰っていった。